政権交代後のミャンマー訪問です
参議院選挙を終えて、先の7月末、2年ぶりにミャンマー訪問。政権交代後では初めて。
私は日本・ミャンマー議員連盟会長。アウン・サン・スー・チー外相率いる新政権与党NLDとの関係構築です。日本はミャンマーの新しい国づくりを全面支援。
着陸前の眼下には雄大なメコン川です。
まず、ヤンゴン市内で少数民族の代表と懇談。
カレン、シャン、ラカインなど。長年、軍事政権ビルマ族と武装闘争を。しかし今、戦いから和平に。少数民族地域の教育、保健に投資を。土地と労働者が基盤にある。これからは技術と資本が必要。日本の支援に大きな期待がかかっています。
私からミャンマー少数民族代表にお願いしたのは遺骨収集、帰還への協力。インパールからの潰走など、多数の日本人将兵がビルマで戦死。一刻も早く、一人でも多く、ご遺骨の帰還は急務。ミャンマーでは今までご遺骨の収容が困難だった。協力体制で加速させます。
首都ネピドーでは、政府 議会関係者と会談。政権交代がなされたわけですから、新たな人間関係をつくらなければ。ミャンマーは今、大きく動き始めている。
ちょっと大袈裟に言うと、明治維新と戦後の民主化、そして現代のIT革命がいっぺんに来たような感じ。そして全ての整備が同時に必要なとき。
まず電力。医療・保健。技術を持つ人材。日本は司法制度、証券市場の開設など国の基盤となる制度づくりをすでに支援展開。日本の途上国支援の柱は技術と人材。
ミャンマーの成長を主導する人材育成です。日に新たに。日に日に新たにです。
政権交代直後は 果たしてミャンマーは成功するかどうか。素人ばかりで国家経営は大丈夫か。行政は機能するのか。いろいろ不安視する向きもあったが、その不安や疑問は払拭されつつある。そんな印象を持ちました。新政権をしっかりサポートです。
帰国前、ヤンゴン郊外の日本人墓苑に。ビルマ戦線での戦没者を追悼。インパール作戦から潰走する日本人将兵多数がビルマで戦死。戦闘より病気で、食料難で とも言われている。日本人将兵に当時のビルマ人は優しかった。そのご恩を忘れてはいけない。
慰霊堂でふと目をやると「岡山県遺族連盟女性部」の千羽鶴が。驚きました。岡山の遺族連盟女性部の方々が追悼の気持ちを寄せてくださった。ありがたいです。戦争の歴史を風化させてはいけない。次世代に語り継いでいきます。
日本人墓苑にある岡山県の慰霊碑にも参拝。ビルマ戦線には福岡、鳥取などとともに岡山県から多数が従軍。九死に一生を得た方から話を聞いた。筆舌には尽くし難い経験を、事実を、漏れなく記憶 記録したい。
慰霊碑には「鎮魂平和」。不肖 私 逢沢一郎の揮毫です。
岡山県遺族連盟女性部からの追悼千羽鶴も。
この度のミャンマー訪問に同行した渋谷ザニー氏。
幼少時に日本に亡命したミャンマー難民という生い立ち。
ネピドーの国会に通じる道路。すごいんです。果たして何
ヤンゴン市内には急速にATMが増加中。しかしミャンマ